何の変哲もない通りの脇に、ポッカリとレトロな意識の落し穴が空いたような小空間に、一瞬たじろぐ思いである。レトロを演出する道具立ても、建物の内外にわたってきめ細やかなものがある。ただしレトロといっても、小うるさい時代考証によるわけではなく、むしろ私たち庶民の内面に棲みついた生活意識の表出のようなものでもあろうか。夾雑で時として猥雑なまでに膨らみ続けてきた都市空間に対する一服の清涼剤であるには違いないが、そればかりではあるまい。都市やその空間の持続可能性などという言葉の実質が一体なになのか、そのようなことにふと思いを駆られる景観が産み出されたと見たい。